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クライアント 2.0

今年も折り返しが近づいてきました。年の頭から大きな案件にかかりっきりで制作漬けの日々だったのですが、この数週間はそれも落ち着きました。その過程で色々と学ぶことが多かったので、夏と秋は学会発表を精力的にやっていければなぁと思っています。

発表したいテーマのひとつとして「クライアント 2.0」あるいは「ユーザー 2.0」というのがあります。Web 2.0系のサービスって、それ自体は画期的でワクワクする部分も多いのですが、そのワクワク感はネットのヘビーユーザーに限定されている感じもするんですよね。一部の若い層以外は「そんなもの知らん」というか、まだまだその面白さに触れていない人が多いと思うんです。でも、ネットによる発想のパラダイムシフトは、もっと多くの人に感じてもらいたいなと日ごろ強く思います。

私の活動フィールドのひとつである教育現場も、割と好奇心は持っている人たちなのに、ネットのワクワクを実感するに至っていない人が多いです。でも、いったんそれを実感すると、すごい速いスピードで理解が新しいアイディアに結びついたりするんですよね。それは最近ディレクションを担当した案件で実感しました(そこまで行くのは大変でしたけど)。

そういう「普通の人」とワクワクを共有できる瞬間って、すごく嬉しいし楽しいんです。制作の醍醐味って、もちろん制作物の評価もありますけど、制作過程でのメンバーの成長というのもあると思います。クライアントやユーザーが進化したと考えて「クライアント 2.0」とか「ユーザー 2.0」っていうのはどうでしょう。ドコモも2.0らしいですし。

昨日CSS Nite in OSAKAで久しぶりにミキチョクシさんの話を聞いたのですが、以前感じたことと同じように、制作側はビジネスとしてネットを消費するのではなく、ネットの面白さを周囲に広める仕事だ、というメッセージを感じました。やっぱりワクワクは専門家だけがキープしているだけじゃつまらないと思います。今年の後半は、私が体験した事例をケーススタディとして、ちょっとでも多くの人が2.0的体験を始めるきっかけとなるような活動をしていきたいと思っています。

ZARDの坂井泉水さんを思いながら、死について。

死というものは、自分ではコントロールできないもの。事故などである日突然死んでしまうかもしれないし、自ら命を絶つような場合も、死を選択しなければならないような心的状況は、ある意味自分をコントロールできないような極限状態なのだと思います。そして、1秒後に自分が生きているかは神様しか知らないのだから、生きることも選べないと言えるかもしれません。

それなのに、訃報を聞いたとき、思わず呟いてしまいます。本人の思いなど関係なしにやってきてしまった死に対して、まるで生き死にをその人が全て決めたかのように、無責任に言ってしまいます。「生きていてほしかった」と。

ZARDのファンというわけではないので、入院されていたことも含め、坂井さんのここ数年の活動はよく知りません。ただ、自分の青春の音楽は90年代なので、やはりZARDの曲はすぐに口ずさめます。それだけに、時代の象徴だった人が消えてしまったような寂しさを感じます。

ZARDの、坂井さんの歌がいろんな人に与えたポジティブな影響があって、そこから生まれたポジティブな願いも、生きることや死ぬことを何にも左右しない。そう考えると「生きていてほしい」とい思いは、無力で身勝手なものかもしれません。死の後に何があるかは誰もわかりませんが、生きていることに価値を見いだそうとするのは、生きている者の都合の良い発想なのかもしれません。そして、こうやって死についての感傷的な気持ちを持っても、長くは続かないことも知っています。それもまた人間が生きるための都合かもしれません。

でも、自分が生きていることや、誰かが生きていることに対して、たとえ一瞬だけでもありがたいと思うこと。それだけは、小さく積み重ねていきたいと、ふとそんなことを思うのでした。

デザインとは:鈴木成一さんが教えてくれるもの

プロフェッショナル 仕事の流儀の鈴木成一さんの特集を観ました。

鈴木成一さんは、大学生の頃に雑誌「イラストレーション」の特集で知って以来、私の中では憧れのデザイナーの筆頭です。装丁作品がどれも素晴らしい出来なのはもちろんなのですが、自分の色を徹底して出さないようにする彼のスタンスが好きなんですね。その本のあるべき姿を装丁としてデザインする、という。だから「いかにも鈴木成一っぽい装丁だと感心する」のではなく「装丁に唸らされて奥付を見たら、またしても鈴木成一の手によるものだった」という感じなんです。

イラストや写真や文字を構成要素として最適な形で定着させ、全体としての姿をデザインすること。それは私が昔から憧れてきた仕事です。自分自身がそうした構成要素のアーティストになるよりは、アーティストをうまく生かすデザインができる人になりたい。その思いは今も変わりません。今はフリーランスとして仕事をしていますが、素晴らしい才能を持った人と一緒に仕事がしたいと常日頃思っています。

残念なことに、私がこれまで出会った(自分ではデザイン分野に詳しい&スキルがあると思っている)人の多くは、そうした構成要素のアーティスト性はすぐに気付いて評価するものの、それを成り立たせているトータルなデザインに気付かない、あるいは軽視しがちでした。「**のイラストは素晴らしい」と褒めますが、その個性の強いイラストをプロダクトに上手く取り入れている「もう一人の」デザイナーの功績は気に留めない、というように。あるいは、写真の美しさばかりに気を取られて、文字情報がおざなりになっていても気付かない、というように。

デザイナーと自己紹介すると、美しい絵やきれいなイラストを描く人だと思う人はたくさんいます。デザインは何も視覚的なものだけが対象ではないし、ましてインパクトがあってアーティスティックなもののみを扱う行為ではありません。ライフデザインという言葉があることは多くの人が知っているのに、デザインはビジュアルのことだとしか思い浮かばない。デザイナーが普通にそんな認識だったりするのを感じると、悲しくなってしまいます。

鈴木成一さんの仕事を思うとき、対象に真摯に向き合ってデザインすることの大切さを改めて思います。自分の自己主張や、うわべを飾り立てることに気を取られてはいけない。それらは、あるべき姿を形作るうえでの取捨選択のひとつにすぎないのだと。

SEOセミナーを受講して人間の面白さを知る。

EC studioさんの社長ブログで告知されていた、ペンシルさんのセミナーに参加してきました。豊富な実例に絡めたノウハウの紹介で、頭の中を整理することができましたし、いろいろと考えることも多い内容でした。

今まで、SEO対策っていう商売って正直あまり興味がなかったんです。Googleとの果てしないゲーム、みたいな感じで捉えていたので。もちろんニーズも重要性も承知していますし、必要な仕事なんだと思うんですけど、自分はその道には行かないかなぁと思ってました。でも、ちょっとだけその認識が変わりました。

というのは、覚田社長の話に、検索エンジンに対する最適化ではなく、人間の検索行動に対する最適化がSEO(あるいはSEM)だというスタンスを感じたからです。このスタンス自体は、例えば住太陽さんなどが語っていますから特別なことではないかもしれませんし、ペンシルという会社はそういうポジションでコンサルティング業をしているから(コードの最適化を専門とする会社を悪く言うのではないですよ、スタンスの違いにすぎませんから)ということだとは思います。

ただ、徹底的に実験・データ収集・分析を繰り返す実証的なアプローチや、検索語の背後にある人間の心理や状況を読み解く試みには、学問的な面白さを改めて感じました。一応大学院にいたことのある私としては、在学中に「検索行動を切り口にした人間の行動分析」みたいなテーマで論文が書ける環境にいたら、また人生違ってたかもとか思いましたね。私の専門は日本語教育学なので、まぁ普通に考えたら難しいですけど。あ、去年PCカンファレンスで「検索力ってどうよ」っていう発表をしたのも、やっぱり自分の中にそういう思いがあるからなんでしょう、てへ(笑)

覚田社長が「普遍的に良いサイトを作る」という点を強調していたのも、検索エンジンというシステムに対する仕事でありながら、人間に対する視点、インターネットが人々の生活にもたらす豊かさみたいなものを意識している気がしました。Googleと協同でセミナーができる、という一見ちょっとありえない関係なども、そういう姿勢がGoogleに理解されているからこそなのかな、とも思います。思想的な部分で似た所があるというか。

EC studioの山本社長は「インターネットで日本を良くしたい」という思いを書かれていますし、それはペンシルの「インターネットの可能性を伝えること」という会社方針と通ずる所があるのかもしれません。だから両社が協力関係でいられるのかな。私も、一応は強い志を持ってこの世界に来たんですよ(笑)。情報教育の現場があまりに非教育的な思考で固まっていることに、一人でブチ切れたことがきっかけです。まぁ、このあたりは「Edu*Web」につらつら書いてますけど。自分ができることがわずかであっても、やっぱり仕事に思いを託したいじゃないですか。

なんか最後はSEOの話題ではなくなりましたが、そんなことを思ったセミナーでした。

アバウトミーはじめますた

というわけで、見た目のかわいらしさに惹かれてアバウトミーはじめますた。

アバウトミー - 自分発見プロフィール : hokuto@

先行サービスであるiddyは完全に放置してしまっているので、これもどれだけ興味を持てるか、ですが。

Nucleus本には愛が詰まっています

念願のNucleus本が出たので早速購入。そして嬉々として読む。

英語圏で生まれたCMSなのに最初の書籍が日本語で出るあたり、Nucleusの日本ユーザーの熱い思いを感じます。中身も充実していて、Nucleusの導入からCMSとしての活用まで具体的に書かれています。このあたりも、Nucleusへの愛が感じられてすごく気持ちがいいですね。

この半年はWordPressを仕事で使っていましたが、やっぱりNucleusいいなぁ。もっともっと使っていこうと思い直しました。Nucleus CMS Japanチーム、ありがとう、そしておつかれさまです。

再スタート

またまた久しぶりのエントリー。2月・3月はとあるサイトの制作に追われて、このブログだけでなく、いろんなことを放置し続けてしまいました。ここ数日、やっとこさ少し落ち着いてきた感じです。何のサイトを作っていたかは、クライアントさんの都合上もう少し内緒。また後日ここでも宣伝するつもりです。

2ヶ月の間に周囲も色々動いているもので、個人的にビッグニュースなのが、大学時代の劇団の先輩であるChirsさんMash up Award 2ndで賞を受賞されたことです。いやぁ、ほんと素晴らしい。おめでとうございます。知り合いの活躍は励みになります。

どんなに忙しくても電車の中で読む本はキープしておく性分なので、定期購読の雑誌はもちろん、Web系の専門誌も結構買っていました。部屋の隅に積まれた本たちをまず整理。データでごった煮状態のHDDを整理、ついでにOSの再インストールもしようかな。

今回の仕事で、新しくやりたいこと、勉強したいことが出てきたと同時に、これまで適当にやっていたことを整備して効率化する必要性も感じています。事務書類の書き方、コーディングスタイルとかね。あと、このブログなどポートフォリオの新調もしたいところ。

アウトプットばかりでは疲弊しますし、インプットも整理していかなければいざというとき使えません。しばらくは自分のペースを見つめ直して、次のステップへ向けて準備していきたいですね(もっとも、次の仕事が控えてはいるんですけど)。

CSS Niteに思うプレゼンスキル

どうも。久しぶりのエントリーです。CSS Nite in Osaka 2007 春の陣に参加してきましたので、所感を。

登壇者のブログや書籍を事前に読んでいたこともあって、個人的には「聞く話みんな知らないことばかり!」というものではありませんでしたが、それでも著名な方たちの生の声を聞くことができて満足のイベントでした。ちなみに神森さんや鷹野さんのDreamweaverの活用テクニックは、書籍「Dreamweaver プロフェッショナル・スタイル」で読めるのでオススメです。

さて、内容については他の方がブログでレポートしてくれると思いますので、たぶん他の人が書かないであろう「プレゼンテーション」という視点で私は書きます。

CSS Niteというイベントですが、セッションの内容はディレクションやFlashなどもあったので、聞き手の興味関心やレベルを絞って話をすることが難しい状況ではありました。さすがにメインセッションのプレゼンはどれもきちんとしていましたが、なかでも聞き手を意識していることがより強く伝わってきたのは、長谷川恭久さんのプレゼン。プログラムには強くない方が多いのでは?という問いを聞き手に投げかけ、非プログラマーにも理解しやすい切り口でmicroformatsの話をしてくれました。スライドの操作も遠隔操作、さりげなくムービーを折り込むなど、さすが意識が高いなぁと大いに参考になりました。

スライドを小気味よく切り替えていく勝城さんのスタイルも好印象でした。2ch系顔文字を(さわやかに)使ったり、聞き手に「そうそう」と頷いてもらえるようなアプローチが良かったです。デモをプレゼンに織り込む場合はスムーズに進めにくいものだと思いますが、鷹野さんはさらっとこなしていました(本人は焦っているとおっしゃってましたが)。

ところで、画面の拡大はMac OSXではスムーズにできるのに、Windows Vistaのルーペのようなアイテムの使い勝手は悪そうでした。画面によっては拡大できず、ルーペタイプなのであまり動かすと酔ってしまいそうですし、何より画面の再描画が起こるのでスマートではなかったです(あれはPCの処理能力の問題なんですかね)。登壇者の多くがKeynoteを使っていた点も、Windowsユーザーにはインパクトが大きかったようですね。

また、プレゼンの後に鷹野さんがコメントするのですが、これが結構辛辣だったりして面白かったです。特にプレゼンの内容について鷹野さんがつぶやくものは、個人的には非常に的を得ていると感じました。競合製品とどう違うの?とか、**って具体例なかったっけ?とか、聞き手として「それが聞きたかった」と思うものだったので。逆に言えば、そういう思いを残してしまうプレゼンはある意味弱点があるわけです。

プレゼンのやり方は人それぞれで、また場合によってその狙いも手法も変わってくるでしょう。絶対的な正解はないように思います。でも、聞き手を満足させるプレゼンというか、聞きたかったことを話すことで人を惹きつけるという手法には、やっぱり注目していきたいんです。

逆に、中身が良くてもプレゼンがまずいと、その中身の良さは聞き手に伝わらないばかりか、その人の価値や会社のイメージすら悪くしてしまう。そんなことも感じました。鷹野さんのコメントは確かに聞こえは厳しいけれども、実際は聞き手は何もコメントせずに離れていってしまうわけで、何が悪いのか掴めないままならもっと厳しいわけです。たぶん、有名になればなるほど、誰かの正直な反応を得るのは難しくなってくるんじゃないですかね。

私も仕事や学会で発表する機会があるので、今回のセッションの内容だけでなく、その伝え方も含めて自分に生かしていきたいと思ったCSS Niteでした。

教育は教師だけのものか

昨日ちらっとNHKの「日本のこれから」を見ていたら、教育アナリストという名札を付けた人が「教師が親を批判するのはおかしい」という話をしていました。「教師は教育をするのが仕事。政治家は政治を仕事とし、国民を批判したりしない。そんなことしたら選挙で落ちますよ。それと同じで、教師は親を批判してはいけない」という趣旨らしいです。

確かに教師の仕事は教育です。でも子どもの教育は、教師だけでなく両親も、もっといえば大人も子どももみんながすることです。教師にしかできないこともあれば、親にしかできないこともあるでしょう。教師だけで全ての教育を行えるわけでは絶対にないですし、そもそも子どもの教育をそうやって教師に全部押し付けるという発想自体が、偏っているというか貧しいというか、とにかく残念に思います。

ところで、議員は国民を批判してはいけないのですかね。そりゃ選挙に勝てなくなるからしないのでしょうけど、国民だって色々なので意見が合わない人もいるでしょう。政治についていい加減な発言しかしない人もいるわけで、そういう人たちを批判することは、何も政治家の務めを果たしていないとは言えないはず。

番組でいろんな大人が熱くなって発言しているなか、子どもたちのコメントは短いながら的を得ていると感じました。大人は立場の違いを超えて協力しあって、私たちを救ってほしいと。ほんとにそうですよね。言うは易しなのかもしれませんが、そこを忘れてしまっては絶対にいけないはずです。

フリーランスあれこれ

先日発売された「Web Designing」3月号に「フリーランス・起業というワークスタイル」という特集があります。この記事に載せる読者の声(アンケート)を年末年始にかけて募集していて、私もちょこちょこっと書いて送ったのですが、さっき記事を見たら結構たくさん載せてもらえていました。ま、匿名なので、ここまで明言してもわかる人しかわからないと思いますけど(笑)

記事中にへぇと思ったのが「個人事業主として活動するなら、屋号を持つ必要は特にないだろう。むしろ『自分の名前で仕事をする』という心構えの方が大切だ」という記述。私も屋号は特に持っていなくて、その理由も同じく責任意識を持つということなんですが、今まで「何で屋号持たないの?」と何度となく言われてきたので、ちょっと勇気づけられた気分。

でもね、春から屋号を持とうかなとも思ってるんです。あった方がいい場面も少なからずあったりしますし、必要のないときは今まで通り名前で通していけばいいかと思うので。どこかの誰かさんの会社名じゃない屋号を思いついた、というのが一番の理由ではあるのですが。