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ZARDの坂井泉水さんを思いながら、死について。

死というものは、自分ではコントロールできないもの。事故などである日突然死んでしまうかもしれないし、自ら命を絶つような場合も、死を選択しなければならないような心的状況は、ある意味自分をコントロールできないような極限状態なのだと思います。そして、1秒後に自分が生きているかは神様しか知らないのだから、生きることも選べないと言えるかもしれません。

それなのに、訃報を聞いたとき、思わず呟いてしまいます。本人の思いなど関係なしにやってきてしまった死に対して、まるで生き死にをその人が全て決めたかのように、無責任に言ってしまいます。「生きていてほしかった」と。

ZARDのファンというわけではないので、入院されていたことも含め、坂井さんのここ数年の活動はよく知りません。ただ、自分の青春の音楽は90年代なので、やはりZARDの曲はすぐに口ずさめます。それだけに、時代の象徴だった人が消えてしまったような寂しさを感じます。

ZARDの、坂井さんの歌がいろんな人に与えたポジティブな影響があって、そこから生まれたポジティブな願いも、生きることや死ぬことを何にも左右しない。そう考えると「生きていてほしい」とい思いは、無力で身勝手なものかもしれません。死の後に何があるかは誰もわかりませんが、生きていることに価値を見いだそうとするのは、生きている者の都合の良い発想なのかもしれません。そして、こうやって死についての感傷的な気持ちを持っても、長くは続かないことも知っています。それもまた人間が生きるための都合かもしれません。

でも、自分が生きていることや、誰かが生きていることに対して、たとえ一瞬だけでもありがたいと思うこと。それだけは、小さく積み重ねていきたいと、ふとそんなことを思うのでした。

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